大洋ホエールズ時代では、主力打者として活躍。「和製ミッキー・マントル」と称される。また、1982年のシーズンには、当時中日ドラゴンズの田尾安志外野手と、球史に残る首位打者争いを繰り広げる。阪神時代では主に代打で活躍し、21年ぶりの阪神タイガースセ・リーグ優勝、そしてチーム初のシリーズ優勝に貢献する。現役引退後は、よみうりテレビで野球解説者として活躍した後、1993年に阪神の打撃コーチに就任。そして、シドニー五輪日本代表チームのコーチなど、指導者としての道を歩み始める。現在、MAXベースボールスクール校長。
1979年、西武ライオンズに入団。同年ライオンズ球団初勝利を含む16勝を挙げ新人賞を獲得。現役通算112勝、プロ野球史上99人目となる100勝投手になる。日本シリーズでは9試合に先発し、特に82、83、85年には第1戦の先発を務めるなど、西武ライオンズ黄金時代を築き上げた。現在は、MAXベースボールスクールで野球少年の育成にあたっている。「アニヤン」の愛称で親しまれている。
1982年横浜大洋ホエールズ(現:横浜ベイスターズ)に入団。1988年は1番打者として全試合に出場し、打率.293(542打数159安打)という成績を残す。1997年には千葉ロッテマリーンズに移籍し、引退後はコーチに就任し、2002年まで務めた。2005年には新球団・東北楽天ゴールデンイーグルスの初代守備走塁コーチに就任。プロ野球マスターズリーグにも参加。2005年から2006年シーズンは札幌アンビシャスの一員としてプレーし、打率.657という驚異的な数字で首位打者を獲得。チームも優勝し、MVPに選ばれる。
1996年ドラフト3位で近鉄バファローズ(現:オリックスバファローズ)に捕手として入団。しかし、打撃力を活かすために外野手へ転向。2001年には打率.320の好成績を残し、近鉄バファローズの優勝に貢献。ベストナインも受賞した。2005年には東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍、引退後の2010年からはコーチとして就任している。2018年からは野球解説者として活躍中。